大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和58年(ク)292号 決定

抗告人

北間花子

相手方

北間太郎

右代理人

阿川琢磨

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告人の抗告理由について

憲法三二条は、何人も裁判所において裁判を受ける権利のあることを規定するが、いかなる裁判所において裁判を受くべきかの裁判所の組織、権限、審級等については、すべて法律において諸般の事情を考慮して決定すべき立法政策の問題であつて、なんら憲法の制限するところではないと解すべきことは、すでに当裁判所大法廷判決の判示するところである(昭和二三年(れ)第二八一号同二五年二月一日判決・刑集四巻二号八八頁)。したがつて、離婚事件の管轄を定めた人訴法一条一項の規定が憲法三二条に違反するものでないことは、右判例のの趣旨に徴して明らかである。また、人訴法一条一項の規定は、離婚事件の管轄に関し、夫と妻との間になんらの差別を設けていないことが明らかであり、かつ、同条項が妻の居住、移転の自由に制限を加えたものとは認められないから、憲法一四条一項、二二条、二四条二項の違反をいう所論はその前提を欠き、失当である。論旨は、いずれも採用することができない。

よつて、本件抗告はこれを棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとし、主文のとおり決定する。

(中村治朗 藤﨑萬里 谷口正孝 和田誠一 角田禮次郎)

抗告人の抗告理由

一 抗告人は、相手方との婚姻生活中、相手方の抗告人に対する妻としての人権を全く無視した行動により、別居することを余儀なくされた。別居後の昭和五七年一月、抗告人は、福岡家庭裁判所小倉支部(家イ)第五六号夫婦関係調整調停事件において、離婚を申立てたが、相手方の合意を得られず、調停不成立に終つた。調停での体験から、法律に無知であることのみじめさを痛感し、抗告人は、失意のどん底から法律を学び始めたが、その過程で、将来を法律家への道に賭け人生をやり直すことを決心し、昭和五八年四月一日、名古屋大学法学部三年次に編入学して、名古屋市に転居した。その後、抗告人は勉学に専心し、また、自ら離婚訴訟を提起・追行するための準備中であつたところ、抗告人と相手方が婚姻生活を共にした北九州市に現在も引き続き居住する相手方は、昭和五八年六月、福岡地方裁判所小倉支部に離婚の訴を先に提起するに至つた。

二 しかしながら、抗告人は現在に至るまで、婚姻生活中に相手方から受けた変態的残虐行為の後遺症により、健康状態はおもわしくなく、今だに咽喉頭の異物感、喘息様の咳に悩まされ、通院治療を受けながら、身体をいたわりつつ生活している。従つて、本件訴訟のため、しばしば名古屋から福岡地方裁判所小倉支部に出頭せねばならなくなることは、抗告人にとつて非常な肉体的負担となる。このことは、抗告人の病状の悪化を促すことも十分予測され、訴訟追行が困難となつて、訴訟の遅滞を招きかねない。

三 また、抗告人の収入は、福岡家庭裁判所小倉支部昭和五七年(家イ)第八五九号婚姻費用分担調停事件で成立した月十万円のみであり、これをもつて毎月の生活費、治療費に充当せねばならず、現状況下では、ぎりぎりの生活である。それゆえ、訴訟代理人を委任することもできず、訴訟という高度に専門的知識を要する行為を自らの力で行つていかねばならない状況にある。このような条件のもとで、名古屋、北九州間の交通費は、国鉄を利用した場合の最低額でも、往復二万六千二拾円を要し、この額は、労働に従事することのできない抗告人には、全く捻出不可能である。福岡地方裁判所小倉支部に本件訴訟の管轄が決まれば、たび重なる高額の交通費の支出は、抗告人のぎりぎりの経済状態をも圧迫し、他に余分な貯えも、財産もない抗告人の生活の維持を困難に陥れるものであるばかりか、抗告人の出廷をはじめとする訴訟追行をも妨げかねないものであり、それは、結果的に裁判の進行にとつての障害をつくり出さないともかぎらないものである。

四 これに反し、相手方は、本件訴訟を訴訟代理人に委任しており、また抗告人と相手方の同居中、ふたりで土台を築きあげた動物病院は、別居開始時には、月百万円以上もの収益をあげる病院に成長し、これは相手方の手中にあることから、経済的にはきわめて恵まれているといえ、また健康にも恵まれており、抗告人とは対照的な条件を備えている。

五 抗告人は、以上にみた抗告人と相手方の条件の著しい不釣合のもとで、本件訴訟の管轄が福岡地方裁判所小倉支部に決まれば、人事訴訟手続法第一条ノ二にいうところの「著シキ損害又ハ遅滞」を招くことは明らかであると考え、同条による抗告人が普通裁判籍を有する名古屋地裁への移送を申立てる決意をした。抗告人は移送によつて、抗告人の訴訟追行が保障されることから、裁判の進行における前述の障害要因がとり除かれると考えた。一方、審理の際の核心であるところの事件の事実関係については、すでに、前述の調停において、相手方が抗告人の主張を全面的に認めていることによつて明らかになつており、改めて、証人申請などで手間どることもなく、調停記録調べ及び当事者尋問によつて、裁判所の事実認定は十分可能であると考えられることから、移送によつて、事実関係の審理の促進を妨げる要因が新たに発生することもないと判断した。以上により、抗告人は、抗告人の移送の申立は、健康上及び経済上の理由から窮地に追いこまれた抗告人の訴訟追行を保障し、また抗告人の裁判を受ける権利を保障するものであり、ひいては、裁判の進行全体を保障するものであつて、決してこのことによる新たな不都合な点の発生は考えられず、これらのすべての点において、当事者の裁判を受ける権利を保障し、裁判の公平・迅速な進行をはかるという公益に合致するものであると確信した。

六 抗告人は、以上の理由をもつて、抗告人が普通裁判籍を有する名古屋地方裁判所での審理を希望し、昭和五八年七月九日、福岡地方裁判所小倉支部に移送の申立をしたが、申立は却下され、更に、同年七月二三日、福岡高等裁判所に即時抗告をしたが、人事訴訟手続法第一条ノ二の移送を適用するには、移送を受ける裁判所にも管轄権のあることを要し、同法第一条の婚姻事件の専属管轄の規定からは、抗告人の現住所地を管轄する名古屋地方裁判所には、管轄権の生ずる余地はないとして、移送の申立は棄却された。

七 しかし、抗告人は、抗告棄却理由を検討した結果、以下のような理由で、特別抗告をすることにした。一般に、夫婦が不仲になり、別居し、離婚しようとする場合には、人事訴訟手続法第一条第一項の規定によれば、離婚の訴の管轄は、第一順位としては、「夫婦ガ共通ノ住所ヲ有スルトキハ其住所地」の地方裁判所、第二順位としては、「夫婦ガ最後ノ共通ノ住所ヲ有シタル地ノ地方裁判所ノ管轄区域内ニ夫又ハ妻ガ住所ヲ有スルトキハ其住所地」の地方裁判所、そして第三順位としては、右第二順位の「其管轄区域内ニ夫婦ガ住所ヲ有セザルトキ及び夫婦ガ共通ノ住所ヲ有シタルコトナキトキハ夫又ハ妻ガ普通裁判籍ヲ有スル地又ハ其死亡ノ時ニ之ヲ有シタル地」の地方裁判所に専属することになる。しかし、妻が別居後、夫と生活を共にした家を出て、遠隔地に居住した場合には、夫がその地にいる限り、離婚の訴は右記の第二順位の規定が適用され、婚姻生活を共にした地を管轄する裁判所に専属することになる。それゆえ、弱い立場にある妻は訴訟の当初から、経済的負担等の不利益を被ることになり、裁判に当たつて、当事者間の公平を損うことになる。

八 抗告人の場合も、婚姻生活を共にした地を去り、名古屋市に転居したがために、健康上及び経済上の切実な理由も何ら考慮されることもなく、右記の第二順位の専属管轄が適用されるため、訴訟追行に当たり、きわめて不利な立場に立たされている。また、妻の地位の実質的向上を主眼として、昭和五一年に人訴法第一条が改正され、その際、主に弱者救済の措置として、同法第一条ノ二の移送の規定が追加された。しかし、この適用を受けようとしても、それは、右記第三順位の管轄が競合する場合に限られ、抗告人のように競合管轄がない場合には、その適用はない。このことは、この条文の弱者救済の精神が首尾一貫していないことを意味している。そもそも、この昭和五一年の人訴法の改正は、昭和五〇年の国際婦人年世界大会で採択された男女の実質的平等獲保のため、各国の政府が、立法や行政の上で、最大限の努力をしなければならないとの勧告を受けての婦人団体等からの請願によりなされたものである。そして、その審議は、改正を早急に実現することを迫られたため、事件の適正・迅速な処理ということのみを主眼としたものとなり、人訴法の全面的検討を要する専属管轄の当否については、甚だ不十分なままで終わつた。このために、この改正において、前述のとおり、改正の意図を十分に反映しない不合理な現行改正条文が付加されたのである。

九 以上のことは、平等な男女の権利を実質的に保障すべき憲法第一四条第一項に反し、同第二二条の保障する居住・移転の自由を間接的に制限することになり、また、同第二四条第二項の「離婚に関して、法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。」とする規定、及び同第三二条の裁判を受ける権利の保障に対して明らかに違反しており、抗告人の基本的人権を侵害するものであると言わざるをえない。

一〇 次に人訴法第一条の専属管轄の規定の根拠たる公益的要請の強さについて、その事件の性格からして、婚姻の無効・取消の訴については、異論はないとしても、離婚の訴については、相対の当事者のみが訴の提起者となり、民法第七六三条で、夫婦間の合意のみによる協議離婚が許され、これに前置される家事調停では、家事審判規則第一二九条によれば、合意管轄が認められるなど離婚に関する事件の実態は、任意処分性が強い性質のものであるといえる。従つて、殊に、離婚の訴に関しては、専属管轄を固執する理論的根拠に乏しく、立法論としては、任意管轄を否定すべき積極的根拠はないように思われる。

一一 また、諸外国の離婚の訴の管轄をみると、協議離婚の制度をもたぬ西ドイツでは、民訴法第六〇六条で、専属管轄としているが、フランスでは、民訴法第五九条、イタリアでも民訴法第一八条で、その管轄につき、特別な規定をせず、通常の民事訴訟上の管轄によるものとしている。その意味において、旧ドイツ民訴法の規定を直訳的に継受した現行人訴法第一条の専属管轄に関する規定は、わが国における離婚制度の実態に、必ずしも妥当しないといえよう。なんとなれば、わが国は、協議離婚、調停離婚の制度を合わせもち、当事者の任意処分性を高度に許しているからである。

一二 以上述べたように、人訴法第一条の離婚の訴に関しての専属管轄の規定は、離婚制度の実態及び立法論としての妥当性を欠き、かつ憲法第一四条第一項、第二二条、第二四条第二項及び第三二条に対して明らかな違背があるので、原決定を破棄し、更に管轄についての相当の裁判を求める抗告に及んだ次第である。

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